さようなら、薔薇姉妹の姉

さようなら、薔薇姉妹の姉

「頑張っているのに、あの人ほど上手くいかない」と思うことはありませんか?

mintはいつもでした。「何が足りないのかな」「何が悪かったのかな」って。
ところが、近ごろふと思い当たることがあったんです。「もしかして、『何が悪かったのかな』という考え方が、悪かったんじゃないか?」って。

大切な人に面と向かって、「なんであなたはダメなのかしらね」なんて、言わないですよね? たとえ「この人ならもっと成功していいはず」と、もどかしかったとしても……。

なのに、自分には言ってた……。ハッとした時に、日本の家で育てていた薔薇姉妹の姉の面影が胸をよぎりました。

ニューヨークに来る以前のこと。

玄関ポーチ用に、濃いピンクのミニバラの鉢をふたつ買ってきました。段違いのラックに飾ったらとても可愛らしく、次々とキュートな花を咲かせてくれました。

夏が近づくと、片方の薔薇の元気がなくなってきました。玄関タイルからの熱が、よくなかったよう。それで、上下の位置を入れ替えたんです。上に上げたらすぐに持ち直したので、また元の位置に戻しました。

それでも、下にやると具合が悪くなってしまいます。仕方なく、上を定位置としました。

しばらくはそれで大丈夫だったのに、ある時を境に、下に置いた姉薔薇はみるみる元気をなくしていきました。熱の届きにくい場所に移し、情報を調べて手を尽くしましたが、手応えなし。弱い妹がぐんぐん育っていくのと反対に、とうとうすっかり枯れてしまいました。

この時に改めて気づいたのは、「薔薇にだって、かけた愛情がわかる」ということです。

mintは3人兄弟の長女なので、しっかり者の年長者が放っておかれる辛さは身に染みています。それに正直、ふたつの鉢のうち、凛とした姉の方をどことなく好んではいたんです。

だけど、元気がない妹にどうしても注意は行ってしまいます。「こっちの子は強いから、大丈夫」と。結果、姉薔薇にはほんとうに可哀想なことをしてしまいました。

自分に対して「なんで私はダメなのかな」と言い続けるのも、姉薔薇への扱いと同じじゃないかと思うんです。「あなたはもっと強いはず」という前提があるから、否定的なことを言ってしまうんだと……。

でも、本当にそうでしょうか。自分なりに精一杯やって、なんとか持ち堪えているのに。それに気づくどころか、「なんでダメなの?」と更に鞭打っていいものでしょうか。

スピリチュアルっぽく言うなら、そんなマイナス波動が出ているところに、いい運なんか来るはずはありません。

そう、あなたはなんにも悪くない。なんにも足りなくなんかない。
「なんでダメなのかな」と思うから、「ダメ」を引き寄せてたんだ……。

薔薇姉妹のように、人には与えられた位置も生来の違いもあります。だから平等な比較は難しいです。「なんであの人に負けてるわけ?」と思うのも、まぁ、致し方ないかも。

ただ、人間の境遇とは、花のラックのように固定であり、棚の定員は1名。誰しも他人と同じポジションにはいられないし、DNAが同じ双子でもそうです。

だから他との比較で「もっと頑張らないと」と自分を叱るのを、ひとまずお休みして。優しい気持ちとていねいなケアを、自分に向けてみてもいいのでは。

mintもそうしようと思います。お空に行ってしまった姉薔薇の、声なき声を無駄にしないためにも……。