「子どもの頃の遊びが進路選びの答え」は本当か?

「子どもの頃の遊びが進路選びの答え」は本当か?

よく聞きますね、↑こんなアドバイス。本当だと思いますか? 私は思います!「好きなことで生きていく」には王道の方法。だって、無心に熱中できたことなら、必ず競争力があるはずだから。

私の場合は、子ども時代の委員会活動が、後の音楽制作スタッフの仕事や現在のピアノの仕事の原点です。ここでは委員会活動の思い出話をして、証拠としてみます。

放送委員

人生最初に狙ったポジションは、放送委員でした。小学4年生の時。

実は3年生で図書委員に選ばれながらも、一学期限りでクビに。主催していた演劇グループの活動に夢中で、図書館貸出係の当番日をすっぽかしまくったためです。

前代未聞のこの汚名のせいで、私を何らかの委員に推薦しようなんていう子はいません。5年生から募集が始まる放送委員に憧れていた私は、焦りました。

この学校の放送部は、大人のマスコミ顔負けのラジオ番組を朝・給食時・下校時に放送。「私もやってみたい!」の気持ちは日々膨らむばかりです。

番組制作にスキルが必要なこの部。即戦力養成の一環として、4年生の見習い委員を若干名募集していました。就活のインターンと同じで、やったからといって必ず放送委員になれるとは限らないポジションですが……。

「どうしよう?」と躊躇しているうちに5年になり、委員選挙の日が来ました。方法は互選(各自が推薦する生徒名を書いて投票)。放送委員には、なんと私が選ばれました。演劇に入れあげていた悪評が役立ったようです。

集会委員

アナウンサーとしてのキラキラな1年が終わり、6年生の委員選挙日。経験者なら放送委員は当確なところですが、私は暴挙に出ました。

担任が変わったため、立候補制になったから。新設された「集会部」という委員会の活動内容に惹かれ、そちらに立候補して当選したのです。

恋愛至上主義の私は、放送部の上級生Kくんが卒業してしまった寂しさに耐えきれず――というのは、メインの理由じゃなくて……。伝統ある放送部にはフォーマットがあり、自由にできる部分が少なく感じたから。

新天地の集会部では部長を務め、やりたい放題でした。あらゆる校内イベントを企画し、先生やキラキラ生徒に出演依頼をし、司会とピアノBGM演奏を担当。

必要なマイク類や音楽・映像機器は、勝手知ったる放送室から、放送委員を下請けのように使って運ばせていました。

お嬢様学校の放送委員

集会部での悪行?の因果はすぐに現れました。港区の女子校に進んだ私は、なぜか推薦で「視聴覚放送委員」に。この委員会では「オリジナル番組を放送しよう」という議題を議論して1年が終わりました。

部員による放送なんてなく、私立なのに放送室は公立小学校の半分のサイズ。委員の役割は、先生たちの依頼で重たいビデオレコーダー(昭和です)などを指定の教室に運ぶことだけ。ものごとは、何でも自分に返ってくるものですね……。

話は外れましたが、放送委員に推薦された理由は、たぶん私が演劇に夢中で、自作劇にオリジナルピアノ曲をつけたりしているのをみんなが知っていたから。

また、学芸会の音楽担当に推されたり、オリジナル曲を使わせてほしいと申し入れが来るようになりました。このような子ども時代の遊びは、一生を左右するものだと感じます。例えばおままごとが大好きだった人は、近ごろ人気の専業主婦が天職ではないでしょうか?

まとめ

自分の進路はなかなか決めがたいもの。迷ったら、単純に「子どもの頃に時間を多く費やしたものは何か」に立ち還ってみては? ベストではないにしても、間違いのない選択ができます。

私がクビになった図書委員のような気の進まない仕事を、見栄で選ぶのは間違いの元。

苦もなく時間を過ごせるカテゴリーが仕事になれば、ストレスは少なく、余ったエネルギーを趣味に振り向けることも可能。副業規定が緩んだ今の世の中なら、趣味が大きな副収入になることもあり得ます。

子どもの頃の遊びを、進路選びの条件に加えてみてはいかがでしょう。

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